「心理学」の感想 (15 June 2021)

第10回目は発達心理学。ヒトの個体発生について扱う。次回は系統発生について扱う進化心理学の予定。このスタイルでの授業は2年目だが、初年度はまだ教材が荒く、質問が多かった。今回は分からないが故の質問がずいぶん減ったように思う。リアクションペイパーへの返信が去年より楽なのだ。確認のための質問が減った分、より高度な内容を議論することができるようになっており、教材の改善というのは大変重要だと改めて意識することできた (意識高めか)。

しかしですよ、この授業はオンデマンド授業としては、自分で言うのもなんだが、結構よくできていると思うのだけど、やっぱり授業はライブで対面でやりたいよね。来年度は絶対そういうふうにやりたい。

現在コロナ渦でほどんどの人がマスクをしています。108行目に「どの段階の乳児であっても、顔に対する注視時間がもっとも⻑く」とありますが、ほとんどの人がマスクをすることで乳児が顔というものを正しく認識できなくなるということはあり得るのでしょうか。

乳児だけではなく、われわれも既に認識が難しいケースが出ていますよね。特に口から表情を読み取る西洋人はたいへんでしょうね。https://www.appps.jp/300225/ この研究おもしろいですよ。

最近甥っ子が産まれ、今回の講義はためになった。

どこらへんが、どう、ためになったのか、もっと詳しく教えて! あと、甥っ子の見方がどう変わるかとかそういうところも教えてほしい。

自分の甥っ子が今生後8か月なので、今回の内容は参考になった。

みんな甥っ子の話か! 対面授業なら僕の (かわいかった頃の) 子どもの写真など (僕の子どもの頃の写真ではなく) を見せながらいろいろ説明できたのだが、残念。

また、子供の育て方において、母親でなければならないというのは違うという内容があった。研究者達はこう述べてきたことに対して、日本は古典的で、固定概念に囚われていると感じた。最近は、育児は男女関係なく行うべきという声が多くなてきたものの、遅いと感じるとともに、男女の差別が減るべきだとより考えさせられた授業回でもあった。

育児は男でも女でもできる、というのはもっとみんな認識すべきだと思う。うちの父親は多分おむつなど一度も替えたことはないだろうが、時代はずいぶん変わりました。子どもがうまれたら最初から男も巻き込むことが肝要。

今回の講義では発達心理学について学んだ。レジュメの冒頭にでてきた発達についての考え方の部分が人間の発達とは結局死んでしまっては意味がないと自分は捉えたのですが少し違う気もして少し理解しにくかったです。テストまでにはしっかり理解しておきたいと思います。

行数がほしいですね。16行あたりかな。発達というのが生まれてから死ぬまでの過程と考えると、結局死ぬのだから、発達とは別に「よくなる過程」ではないのだ、という意味です。発達とは個体の時間的変化のことです。

ロバートファンツの幼児がどのような刺激に注意を向けるか注視時間を図を用いて行う実験で幼児の頃から魅力的な女性のスライドをより長く注視するという結果に驚きました。人は幼児の頃からどんなものを注視するのかがだいたい変わらないと思いました。私は子供に好かれたりされる事が少ないので、ちょっと傷つきました。

しかし、子どもに好かれるかどうかは顔ももちろんあるが、振る舞い方もずいぶん影響するから (といっても慰めにならないか……)。

発達心理学で三つ山問題を知った際、いとこが5歳だったので、実施してみたかったのですが生憎東京に住んでいて会うチャンスが無かったので諦めたことを思い出しました。しかし、いとこだったか、地域援助実践体験で伺ったこども園の子供だったかは忘れましたが、その時特有の何かを、観察したかちょっと実験してみたかのような記憶があります。さっぱり内容は思い出せませんが、「おーほんとだ!」って感動した記憶があるので、やったことは事実なのですが……。

もし自分が子どもを育てる機会があればぜひ試してみましょう。

心理学の授業の中でよく「本能というものは存在しない」と言われるのですが、赤子が生まれた時から持っている感覚、例えば複数の図を見せて顔に近いものに視線が集まることなどは本能的と言えるのではないだろうかと思いました。これは本能では無いのですか? もしくはそもそも本能という考え方が心理学的ではないということなのでしょうか。

本能はありますよ。どの授業でそんなことを言っているのでしょうか。科学的な知見として、われわれヒトにはむしろ他の動物よりも多くの本能があります。過去には生後の経験が過度に重視されていた時期もありますが、生まれつきの傾向というものを無視することはできません。

言語の発達では、子どもは言語を誰かに教えられるのではなく、生得的に持っている文法能力に従って生きていく中で自分で言語を習得しているということが分かった。しかし、日本語や中国語の文法と英語やドイツ語などといった文法は全く異なるが、脳に内在する文法能力はどの言語にも対応しているのかが疑問に感じた。

「全く違う」というほど違うでしょうか。もし全く違うものだとしたら、われわれは言語を翻訳したり、第一言語とは異なる言語を学習することはできないのではないでしょうか。それはもちろん「全く違う」というのがどういうことか、という問題に還元されるわけですが。

以前に赤ちゃんはおもちゃや食べ物を与えるだけでは死んでしまうという話を聞いたことがありました。その話を聞いて驚きましたが今回の講義の内容に親は育てるだけでなく愛情を注ぐことが役割だという内容を目にしました。それを見てなぜ人は愛情なしには生きられないのかという疑問が浮かびました。この疑問の答えを私は愛情を受け取ることで人間は幸せホルモンが抽出し心を健康にしているのだろうと考えます。体だけが健康でも心が健康でないと生きる活力を失ってしまうのでしょうか。教授は愛情が人の身体にどのような影響をもたらしていると思いますか。

ヒトの特徴として最も重要なのはその社会性です。人は他者から学ばなければ何もできません。個体としての環境適応能力がたいへん低いからです。他者に助けてもらい、他者と協力してはじめてヒトはまともに生きていくことができます。このことがヒトを他の動物に比べて特別な存在にしています。愛情なしに生きられない、というのは、それだけ他者との社会的関係がわれわれの適応に重要だということを意味しています。

ジュディス・ラングロワの実験から乳児でも魅力的な女性の顔に惹かれるということが理解できた。私は新垣結衣が魅力的だと思っています (一応ファンクラブにも入ってますが、今年中に閉鎖されるそうです)。星野源との結婚はさほどショックではありませんでした。むしろ「相手が星野源でよかった〜」って感じです。ガッキーおめでとう。

もっと自分に正直になれ。もう、そうやってナイスに振る舞うのはよせ。どろどろとした自分と向き合うんだ。

ロバート・ファンツやジュディス・ラングロワが行った乳児の視覚に関する実験が興味深いなと思った。彼らは乳児が魅力的な女性のスライドをより長く注視することで、魅力的な顔に多く注意を向けることを発見したと理解できた。私は接客業をしており、幼いお子様連れのお客様がたくさん来るが、お子様に顔を凝視されることがよくある。従って、彼らの研究を基に考えると、私の顔は魅力的なのだ。(自分で言うことではない) とても嬉しかった。

まだ油断できない。おもしろい顔をしているからかもしれない。赤ちゃんは新奇な刺激にも興味を示す。

ヒトにはアロマザリングという現象がある。育児の負担を集団で共有するというものだ。日本では母の負担が未だに大きいそうだが、子育て能力に遺伝的な男女差はないということを知れてよかった。子どもができても自信を持って育てることができそうだ。彼女ができないけど。

将来子孫を残せるようにお祈りしています。

英才教育といわれるうちの一つの、胎児のころからクラシックを聴かせるのは心理学の観点から見て、実質的な効果はあるのでしょうか。

多分ないでしょう。それより「家でクラシックを聞いているような社会階層」に生まれることの方がずっと大きな影響を与えると思います。子どもは虐待せず、十分な食事を与えるくらいで十分。そう思っていたほうがいいと思います。どんなふうに育てたいか、思いが強いと苦しくなります。どうせ思うようには育ちません。自分もそうだったでしょう?

しっかりと覚えてはいませんが昔、幼い子 (年齢は詳しく覚えていませんが五歳以下だった気がしています) は円形が好き、だからアンパンマンが幼い子にモテているという話を何かで見聞きしました。当時友人の妹 (四歳) が好きだった私はその子の前でアンパンマンの顔に近くなるよう頬に指で円を作ったものを押し当て見せてみました。するととても嬉しそうにキャッキャッとしていたのでやっぱり幼い子は円が好きなんだ、と思った記憶があります。

今回の講義資料を読んで乳児は同じ円形であってもより人間の顔に近い形を好み、人間の顔で比較すれば魅力的な顔に多く注意を向けることが分かりました。乳児が円形のものを好むような記述は見受けられなかったため記憶に関しては覚え間違えかデマを掴まされたのだろうと解釈しました。自己体験した触れ合いが乳児でなかったため資料で読んだこと自体当てはまるか難しところですが私の顔を見て嬉しそうにしていたのはその子が円形のものが好きだったのか (アンパンマン推しだったのか)、人の顔だから好まれていたのか、私の顔が魅力的 (左右対称であるかその子の好みの顔だった) という疑問が浮かびました。明らかに一番最初の理由なような気はしていますがもし三番目の理由だったらと考えるとわんちゃんがあると思いニヤリとしてしまいました (七年ほど前の話なので今その子にあっても初めましてと言われる気しかしません、諦めるつもりはありませんが)。

こういう感想が今回はとても多いのだが、特に女性の場合は化粧と衣装で結構なところまでいけるので、ワンチャンは確かにある。もともとの顔がそれほど魅力的でなくても、塗り方を間違えず、そういう仕草を学べばかなり魅力を嵩上げすることができる。かわいいは作れる。がんばってほしい。

あまり重要じゃないかもしれませんが気になったので質問させてください。173行目からの中心化についてなのですが、実験で出てきたグラスの水の量は二つとも同じでしたが、対象の二つに共通する条件がないとダメですか? 私は小さいころ、お小遣いをもらった時、例えば千円札一枚より百円玉が二、三枚あるほうを欲しがったそうです。硬貨のほうが枚数が多かったからだと思います。これは中心化といえますか? それとも私がばかだっただけですかね。

馬鹿だったかどうかは僕の立場からはコメントしにくいが、それは同じ現象だと思う。数に注目していたんでしょうね。

「母親の愛は温かい」とよく言う理由もはっきり理解できた。「母の愛情表現であるハグで体を温められると温かい」という文を省略してあったのではと思った。少し前にテレビで見たのですが、泣いている乳児に特定の音楽を流せば涙をとめられる。ということについて先生はどう思われますか? 音程とか声質とか、いろんなことが関わると思うのですが、心理もこの現象と関連していますか? 先生のお考えが知りたいです。

この領域のことはよく知りませんが、ホワイトノイズを聞かせると落ち着くなどとう話がありますね。なぜかはちょっと分からない。そっけないと思われるかもしれませんが、本当に分からないんです、すみません。

質問なのですが、言語をまだ習得していない幼児に二か国の言語で話しかけても、混同して覚えることなくバイリンガルになるのでしょうか (今回の講義と関係なかったらすみません)。

大いに関係します、大丈夫。例えば父親が英語、母親が日本語話者の場合、子どもはバイリンガルに育つことが多いですよね。しかし、父親か母親のいずれからが両方の言語で話しかけたらおそらく赤ちゃんは混乱するでしょう。「この人は英語、この人は日本語」という形ならうまくいくと思いますが、1人の人間が言語を使い分けた場合にはどうなるかよく分かりません (言語学の言語習得の専門家に尋ねてみましょう)。

トリヴァースは進化的な観点から子育てについて検討する枠組みを提供したとありますが、これは進化心理学ということですか?

はい、進化心理学です。

アカゲザルを使った実験では単に布の素材を好んだだけで、その結果で母親の温もりを必要とすると推測するのは少し無理やりな気がしました。

どういう実験をすれば母親の温もり説が補強されるか、考えてみるとよいかと思います。それが心理学です。その批判的な視点はたいへんすばらしいです。実験計画を立てたら添削してあげます。

人間は言語を覚えることが本能であるというのは、とてもすごいなと思った。他の生物に比べて唯一無二だと思った。なぜ、魅力的な女性を乳児は凝視してしまうのかも気になった。これも本能なのだろうか。

僕もつい凝視してしまうので、本能なのでしょう (非論理的な推論)。人はかなり外見に影響を受けるので、それはきちんと意識しておかないといけないと思います。危ないです。