今日は臨床心理学。臨床心理学はあまりに専門外でここはたいへん難しい。特に精神分析、フロイトもユングもうまく説明できている感じは全くしない。臨床の先生から詳しく聞いてください。
先入観が公平な判断の邪魔になってしまうということはよく言われているが、精神科に病人じゃない人を送り込んでも病名が付けられてしまうことについて、精神科の先生の先入観によるものなのか又は生活に支障はきたしていないが本当にその予兆がある (精神的に不安定な部分を全員が持ち合わせているためそこを診断された) のかが気になった。
ローゼンハンのは特殊な「実験」ですが (そしてそれにはいろいろな議論がある)、ふつうはそこに行くなんらかの理由があるので、周りの人の判断か、あるいは医者の診断のどちらかに問題があるケースというのもあるでしょうね。ただ、誤診を0にするのは難しいと思います。
ピラミッド型の5段階欲求の図はマズロー本人が書いたものではないと知って驚いた。
『人間性の心理学』というマズローの大著があるんですが、あれには一切図が載っていないんですよね。
公認心理師になるにしても臨床心理士になるにしてもそれぞれとても多くの内容を学ぶ必要があり、様々な局面での対応を求められるいいものだなと改めて思いました。自分は公認心理師に興味はありますが今の自分にあまり現実味がなく迷っている状態です。
ぜひ心理科学の方に来て、大学院で研究に没頭されることをおすすめします。公認心理師を目指すわけではないけど、研究をしてみたいひとにぴったり!
臨床心理士や公認心理師は、ふつうのお医者さんよりも難しいのかなと思いました。ふつうのお医者さんは、患者さんを診て、お薬を出したり、治療や手術をできるけど、心理の方は、それができないし、自分の患者さんへの対応だけで戦わないといけないから、大変そうだとおもいました。
どっちが難しいかは分かりませんが、自分だけで対応することが適切ではないと思ったら医療機関とも連携したほうがいいですね。関係機関と協力して対応することが大事だと思います。
臨床心理学を学ぶ中で、専門的な治療や支援だけでなく、日常生活の中にも応用できる考え方が多いことに気づいた。たとえば、相手の話を遮らずに聴く、感情にラベルをつけて受け止めるといった姿勢は、臨床場面に限らず、人間関係全般に役立つと感じた。また、治療者が「解決する人」ではなく、「一緒に考える人」として関わるというスタンスは、今まで持っていた心理士像とは異なり、とても新鮮だった。専門性が高い分野である一方で、人間としての共感や柔軟性も求められる点に、臨床心理学の奥深さを感じた。今後は、知識を得るだけでなく、自分自身のコミュニケーションのあり方も見直していきたい。
なかなかうまく今日の授業を咀嚼してくれたなと思います。結局、どれだけちゃんと話を聞くかという問題は、臨床場面に限らないんですよね。
臨床心理士は定期的に研修を受けないといけないということを知った。どれくらいの頻度なのだろうか。
このサイトをご覧いただくとよいかと思います。
公認心理師について少し気になっていたのでどういうことをするのか、資格を取るまでの過程などが知れたので良かった。「臨床心理学」という言葉を初めて使ったのが1867年だということに驚いた。江戸時代から心理学が存在していたと思うと不思議な感じがする。
いや、それはウィトマーが生まれた年なので、臨床心理学が生まれたと言えるのはもう少しあと。
公認心理師と臨床心理士の師の字が異なることに驚きました。
そこまで驚かなくても大丈夫です。
高校生の時、マズローの欲求階層説について学んだのですが、人の欲求が段階的に高まっていくということがわかりました。また、実際にYG性格診断も体験したことがあるのですが、その時はただ心理テストをするつもりで取り組んだのですが、その結果が自分の外向性や情緒の安定性などを知ることがよくできていたものだと改めてわかりました。性格と欲求の両面から自分を見つめ直すことができ、高校時代はこんなん関係ないと思いながら取り組んでいましたが、その学びが、大学でも活かされており、その授業を取っていて今更ながらに良かったなと思いました。
マズローのところについては、最新の進化心理学的知見からすればこれは結構怪しいので、そこらへん、批判的に見ないといけないとは思います。とってよかったと言ってもらえるとお世辞でもうれしいです。