「進化心理学」の感想 (11 Dec, 2020)

この日は「利他性の進化: 血縁淘汰と互恵的利他主義」、「利他性の進化: 大規模集団での利他行動」の2本立て。この授業の翌日の土曜日に対面授業の中止が発表され、これが教室で行う授業の最後になってしまった。無念。その準備もあり、フィードバックが遅くなって申し訳ない。

(第9回)
感想です。141行目からのおばあさん仮説についてです。母方の祖母であっても,父方の祖母であっても,孫と両方の祖母の血縁度は0.25 (計算し間違えているかもしれません) で同じです。ですが,父性の不確実性 (父方の祖母にとっては血縁関係のない孫かもしれないこと) を考えると , 父方の祖母が孫の世話をするのは,家族の適応度を高めるためだとは言うことが難しいのではないかと思いました。

これはすばらしいコメント。実際、そういうことがあるので、子どもは母方のおじさんが引き取るという文化が存在します。しかし、そういう文化が必ずしも多くないのはなぜかはちょっと分からないです。

第10回目についてです。
確認です。84行目の”selective incentive”は「選択的誘因」でしょうか…? (黒板に書かれていた時にご質問するのがベストだと思うのですが…すみません)。

ああ、そうですね、「誘引」と教材には書いていましたね。誤字です。全部「誘引」となっていますね……。

正直他の内容は自信を持って理解しましたとは言いづらいです。(もうちょっと頑張ってみます) 頑張って授業をなさった先生を考えてももうちょっと何が分かったのか伝えたいですが…自分の言語力と知能の限界だと思います。申し訳ございません。

いえいえ、僕の力不足です。量が多いので、なかなかうまく説明できていないかもしれません。

進化心理学を受けながらいつも思う内容でありますが、授業中に登場する学者の名前を覚えなければならないのか、試験に出るのかという疑問があります。やはりある概念を学んだと言うためにはそれを主張した学者まで理解する必要があるでしょうかね。

もちろん、「誰が」その研究をしたか、ということは学問をするときにはたいへん重要なので、覚える必要があります。

反復囚人のジレンマとは、継続的な関係には互恵的な関係 (=お互いが最大の利益を得られるような状態) が成立することでしょうか。

囚人のジレンマを反復してプレイさせると、互恵的な関係が成立することができる、ということです。

第9回の授業で、血縁度の計算がありましたが、何%以上だと血縁者といえるのか、基準値はありますか?

それはないです。血縁度が高くなるほど協力のインセンティブは強くなります。

今後の人類の進化で男で母乳を出すことができるようになると思いますか?

それはないと思います。進化というのは逆戻りできないので、「あったらいいな」というものができるようにはならないのです。

利他性の進化はとても難しい問題だと思った。

それはそうです。大学の授業ではわざわざ教えなくても分かるような簡単なことは教えないのです!

血縁者を見分ける仕組みについて、子ども時代に一緒に過ごした人は性的魅力を感じなくなる、というのは、小さい頃から仲良しの幼なじみのような関係の男女が「あいつとは、幼なじみだから恋愛対象じゃないんだよ」というのもウェスターマーク効果であるのか気になりました。

まさにそうです。

アクセルロッドの戦略選手権の話で最初に協力してその後は相手を模倣するやり方が1番ポイントを稼げるとあったが、最初に協力することに意味はあるのですか? それとも、どちらでも良くてポイントを稼ぐためには協力しておいた方が稼げるから協力するのですか??

最初に協力というのがないとそのあとが続かないので、うまくいきません。「相手が協力する限り協力し続ける戦略」なので、最初に非協力してしまうと、そのあとの互恵的な関係が成立し得ないのです。

社会的ジレンマに関する実験に被験者として何度か参加したことがあるのですが、修大生はいい人が多いとおっしゃっていたように、実験を行う場所などで変わった特徴が見られることはよくあるのでしょうか。

ありますね。北大で実験をしたときには協力率はもっと低かったです。大学による協力率の違いを調べるということでも一つの研究として成立しそうです。

自分を裏切らないと信じることができる高信頼者は裏切りに気付きにくいですか? 信頼しすぎと騙されやすさは違う物でしょうか。

高信頼者は基本的に裏切りに気づきます。相手がどんな人間か見極める能力があって、その自信もあるから信頼することができるのです。

13行目からの説明で、相互扶助行動、利己的行動、利他的行動ときて、いじわる行動が出てきたので他の表現はなかったのかなと思いました。例が出て少し理解に時間がかかったので、英語が苦手なので一見意味がわからず記号的に覚えられるスパイト行動という表現で脳内で置き換えることにしました。どちらで覚えていても意味は同じなので大丈夫でしょうか。

どちらでも大丈夫です。

解決に向かうための正解のようなものはあるのだろうか (それもひとつではないのだろうけれども)、全員で協力して何かを行うことが何故難しいのか、何故ルールが定められ、それを守らなければいけないのかなどいろんなことが頭に過ぎりました。連帯責任を小学校などで教わるのも近いことがあるのでしょうか。すぐ身近なことに結びつけてしまうのは単純化して理解した気になってしまう可能性があるためあまり良くないとは思うのですが、どうだろうかと考えてしまいます。

連帯責任は相互に監視させる上ではうまく機能するケースがあるのだと思います。しかし、それによって失うものもありますね。管理的な観点からは低コストでいうことを聞かせられるやり方だとは思いますが、われわれは文明国に住んでいるはずなので、もっときちんと個人の責任というものを考えるべきではないかと個人的には思います。

包括適応度で人間の行動を数値化できるのはなんかすごいと思った。

「すごいと思った」という感想はインテリである大学生としてのコメントとしては十分なものではありません。人間の行動が数値化できるのは心理学の基礎の基礎です。そのことは他の授業で随分習ってきたはずです。せっかく授業に参加しているのだから、もっとがんばってコメントを書きましょう。むしろこういう「感想」よりも、授業を聞いて何が分かったのか、書いたほうがいいと思います。

社会的ジレンマの問題は面白いなと思った。

このコメントも上と同じ感想を持ちました。