「心理学」の感想 (4 Aug, 2020)

まとめ以外では最終回で、心理学と研究倫理。再現性問題を扱っています。次の最終試験の範囲は当然ぜーんぶです。これはすでに伝えてあります。また、結局最後まで分からないところや質問があるところは行数を示す、という指示は徹底できなかたtので、これをいかに定着させるかが次からの反省点かなと思いました。

25行目で、研究倫理委員会が必要になったのは論文投稿時に学会から求められるようになったからとあるがなぜ求められるようになったのですか。

基本的に最近の日本の心理学はアメリカの後追いです。アメリカで標準的になっているものが日本でもなります。例えば国際誌にデータを載せようとしたら、倫理委員会を通しているのか、と聞かれることになり、倫理委員会を作ってそこの審査を通す必要性が生じます。

実験参加者へ報酬があるといって、実際にはなかった場合はどうなるのかなと疑問に思いました。

報酬を支払う、といって支払わないのは通常はないです。実験が行われない場合にも来てもらった手間賃を出すようにしています。

添付資料の心理学研究は信頼できるか? -再現可能性をめぐってーを読みました。その中で気になったのは一番初めにエピソードを話していた中京大学の教授の方のストーリーです。そこでは概ね自身が研究してい領域の先行きの不安や信頼性について書かれていました。「心理学の研究データは一番最初に出た結果に影響され、心理学者はそういう意味では未来予知能力者だ」と皮肉を打った文章が登場していました。心理学を大学の講義ではありますが学んでいるものとして、かなりセンシティブなトピックだと感じるので、行く末に今後も注目していきたいです。

あの論文も読んでくれたのですね、すばらしいです。ここ数年心理学の業界はこの問題で大慌てです。授業で紹介するときも、本当にこの結果は確かか、確認する癖がついています。

p4の4行目の、「学会し」→「学会誌」の間違えでしょうか?

ありがとうございます! 間違いです。指摘の際には通し行番号があるので「90行目」と言ってもらえれば一発です! (この授業ももう終わりですが)

もし、デブリーフィングを行って、実験参加者が怒り、その実験の結果が使えなくなった場合も、その怒った実験参加者に報酬は払われるのでしょうか。そしてその実験は完全に「無かった」事になってしまうのでしょうか。自分の勘違いもあるかもしれませんが、今まで自分は数回「正夢」を見たことがあるのですが、「正夢」は心理学的に何か研究されているのでしょうか。「あなたが必死でゲットしたレアポケモンも、ポケモンを知らない人にとっては何の価値もないように。」という考え方は結構大切な考え方だと個人的に思いました。

実験参加者が怒った場合でも当然払います。実験データはその人の分は削除することになるでしょう。でもそういうことのないように慎重に行いますので、まずありません。「正夢」は、偶然ではないでしょうか。心理学の研究テーマにはならないと思います。超心理学と言えないこともないか。

もしこのような不正がバレたらどうなるでしょうか? 学位剥奪など罰則はあるのですか?

論文の場合、取り下げが行われます。所属する大学でも懲戒もあるでしょうし、不正によってとった学位なら当然剥奪されます。

剽窃が一瞬でわかる機能が安く手に入るとしたら買いますか?

そういうアプリケーションはすでにありますが、そんなものを使わなくても分かるのでまず買わないですね。また、心理学の場合実験レポートの場合が多いので、そもそもコピペができないのです。自分がやっている研究の分析結果を書くわけですから。

なぜ学者という立場で頑張っているのに不正行為をしてしまうのか分かりません。先生たちが授業で使う資料にもコピペや引用は使われているが、どこからが不正でどこまでが不正ではないのですか。

「頑張っているのに」というのは不正行為をしない理由にはならないと思います。むしろ、研究業績を出さなければ、というがんばりが不正行為の源になっているかもしれません。「引用」は全く不正ではありませんが、引用せずに誰かのアイディアをあたかも自分の意見のように書くことは不正です。

今回は質問が2点、レジュメの訂正点が2点ございます。 質問の1点目は、6ページの166行目にある「動物実験であれば被験体 (subjects) という。」の部分についてです。155行目~166行目にかけて、subjectsは英語圏では主従関係を表すので、participantsと改称して、日本の倫理規定でもより客観的な印象を与える「研究対象者」に改めると学びました。そこで、動物実験のsubjectsに対しても「被験体」と呼ぶと主従関係を表すので、動物側の観点から改めて、新たな単語を用いる方が良いのかもしれないと思いました。それとも、動物の場合は「被験体」でも中立的な意味で使用されていて、英語でもsubjectsとしか表されないのでそれでも良いのでしょうか。2点目は、7ページ192~193行目に、「危険はないが、不快な場合はいつでも途中で中止することも保証をする。」とありましたが、これは心理学の実験に限らず、どの学問の実験や調査でもこれを行った方がよいでしょうか。私は英語に関する論文を書く予定なので、事前に知っておきたいです。よろしくお願いいたします。レジュメの訂正点は、8ページの208行目の「電気ショックが与えられ」と209行目の「電気ショックは実際には与えられず」にある、「与」の文字に☒印が付いておりました。修正頂ければと思います。(2,039文字)

「「与」の文字に☒印」はなぜこちらの環境では表示されませんでした。なぜだろう。subjectについては、人間以外の動物は主体的に実験に参加することができないので、participantsという用語を使わないのだと思います。自分の意思で、という意味がparticipantsには含まれているのだろうと思います。「危険はないが、不快な場合はいつでも途中で中止することも保証をする」は、どんな研究でもそうあるべきですね。実験参加者を拘束することはできませんから。

期末テストの勉強のコツを教えてください

ひたすらPDFファイルを読みましょう。

わからなかったことは、ベムの超能力研究のところがあまりよくわからなかった。

人間には予知能力がある、というデータをベムが示したけれど、それは再現性がなかったよ、という程度の理解で大丈夫です。

実験参加の報酬は具体的にどんなものがあるんですか? Amazonギフト券とかですか?

実験によります。参加者の中から抽選で、という場合もあります。今度やる予定なのは、抽選で報酬がもらえるものです。Sonaシステムを使うので、登録していない方は急いでしておいてください!

分からなかったことは、164行目の所でそれぞれの分野で一般的な呼び方があればそれに従ったとあるが、相手は同じ人間にも関わらず、呼び方が違うのはなぜですか?

同じ人間ですが、研究対象者を示す用語は専門用語なので、分野によって異なってきます。それはある意味「たまたま」ですが。

7ページ192〜、実験後に許可を得るのではなく、実験前に嘘の情報を伝える可能性があると断りを入れておくのはダメなのか。

そう伝えると実験結果に影響が出るので、それは言えないのです。

昔は出来ていた研究でも、研究倫理の普及によって出来なくなってしまった研究や問題はどのようにして研究をするのだろうか。

やめるしかないです。人権や倫理はなによりも優先されなければいけません。

過去の自分の主張を引用した場合は、自己剽窃といえますか? ちゃんと引用と示していたら、剽窃とは言わないのかと思いました。

引用をしていれば問題ないです。

243行目に間違いを犯さない人はいない…(中略)恥ずかしいことでも何でもない。とあるが、実際の風潮? としては間違っていたらと思い発言しなかったりする状況が多々あると思うが、この現象はなぜ起こるのか。

自分の評価がそれによって下がってしまうと思うからです。しかし、実際には間違っていることに気付いていて、それを言わないでいて、ばれた場合、最も評価が下がります。

分からなかったことと質問は、15行の大学に赴任し学生が同意書を取ってるのに驚いたとありますが、学生の方はどうやって同意書を取ることを知って、また、そうするべきと考えたのですか?

修道大学ではかなり前から同意書を取っていたのでしょうね。先生の指導でしょう。僕は北大にいましたが、北大には当時そういう文化はありませんでした。

もしも有名な心理学者が他人の作った論文を剽窃していた場合、言い方は悪いですが野球やサッカーのように、心理学会から追放されることなどもあるのでしょうか。教えていただきたいです

その人のデータは誰も信用しなくなります。多くの場合、大学からは解雇されます。学問の世界で生きていけなくなるという意味では「追放」ということになるでしょうか。学会がどういう対応をするのかは分かりません。

そしてよく理解できなかった点としては出版バイアスとは具体的にどのようなもので、なぜ心理学の再現性を低めているのかといったところです。

「有意な結果が出た場合には論文になる。有意でない結果の場合は論文にならない」ということです。10回に1回だけ成功した実験があったとしましょう。失敗した9回の実験は論文になりません。1回の成功した実験だけが論文に載ります。10回に1回しか成功していないのにですよ?

分からなかったことは、なぜ倫理的に大きな問題のあるような実験でも、昔は行うことができたのか。参加者は何を思って参加していたのかが分からなかったです。

昔は人権意識が今とは全く異なったのです。小説でもいいですが、昔の本を読めば分かります。人権なんてのものをみんなが意識するようになったのは最近のことなのです。よい時代になりました。

コピペをする人は名誉が得たくて行っているのでしょうか。

単位が欲しくてやる人もいるし、仕事がほしくてやる人もいます。

p値ハッキングでの説明が少しわかりづらかった。どうして5%未満に設定することが多いのか読み取れなかった。アメリカではSTAP細胞と思われる細胞が特許を取ったという噂を聞いたことがあります。詳しく知らないのですが、その情報は本当ですか。

p値の5%基準はただの伝統です。ものによってはもっと低く設定することもあります (新薬開発などでは多分もっと低いでしょう)。STAP細胞の話はおそらくデマです。繰り返しそういう話が出てきましたね。そのうち本当に出るかもしれませんが。

予知能力は当てずっぽうで偶然あたっても予知能力というのかわからなかった。

あてずっぽう以上の確率であたった、ということです。

なぜ学術誌はオリジナルの研究を評価するのですか。追試で元の実験よりすごいことが発見できても、追試は評価されないということでしょうか。

追試は元の実験の内容を確認することなので「すごいこと」は発見できないのです。

45行目からあるように、研究で守るべき倫理的ルールは大学が決めるということは、そのルールが大学ごとに異なると思いますが、それによって起こる問題はないのでしょうか。

大きくは異ならないので、大丈夫でしょう。

解決策が多く作られているがそれらはしっかりと実施しているのか?

少しずつ普及しています。

直接的追試であった場合、今まではどのようなものが学術誌に掲載されていたのでしょうか。同じ内容を追試しただけでは学術誌に掲載されにくいですが、それにプラスα何が加わっていることが多いのでしょうか。学術誌に掲載される実験は、その学術誌に掲載する条件にもよるとは思いますが、新しい実験は少ないのでしょうか。割合的には概念的追試が多いのでしょうか。

そうですね、追試だけではなく、何らかの要素を足した論文が掲載されることが多かったです。「新しい実験は少ないのでしょうか。割合的には概念的追試が多いのでしょうか」とのことですが、むしろ圧倒的に新しい実験が多いです。

今回の講義内容の資料を読むに、これまで驚かされてきた様々な研究に少し、疑念を抱くようになりました。また、私も、無意識な剽窃をしてしまわないよう気を付けようと改めて思いました。分からなかったこととしては、自己剽窃についてです。これは剽窃と意味は変わらないのでしょうか。

自己剽窃も剽窃です。引用すれば大丈夫です。

教授は今までで実験を何回行いましたか?

実験は97年から20年以上やっているので、覚えていません…… (どうでもいいことですが「教授」という呼びかけ方はあまり一般的ではないかなと思います。「先生は」かな)。

276行目の有意差とはどういう意味ですか?

前回の資料の426行目からを復習してください。

査読は不正行為を見抜くように作られていないとのことでした。性悪説のような考え方になるため悪手かもしれませんが、AIなどを活用して、重複した表現が多ければ人が読むようにする、などといった方法は開発されたりしないのかと感じました。

そういうツールはすでに使われています。

授業で分からなかったこと、質問、要望デセプションを行なった後に、再び実験データの利用について聞いた時、拒否されたら、報酬を増やすからと言って承諾をもらうのは、大丈夫なんですか?

報酬は一種の契約ですから、そういうことはしませんね。

来週の最終試験を終えたら、前期の授業は終了ですよね?

そうです。寂しいかもしれませんが、終わってしまいます。

大学生は必ず論文を作成しないと大学を卒業できないのでしょうか? それとも人によって違ってくるのでしょうか?

これは学科によると思います。卒論が必須なら書かないといけません。選択科目なら書かなくても卒業できます。

結局STAP細胞は存在するのでしょうか? 存在しないのであれば、なぜあそこまで大々的にニュースになり、世界的に有名になったのでしょうか?

存在しなくて有名になったものなどいくらでもあります。永久機関とか。

研究者の自由度が上がりすぎると実験結果が正確にはならないと感じたのですが実際自由度が上がりすぎた場合どのような影響を及ぼすのですか。

これは267行目からの段落をもう一度読んでみてください。研究者が自由になんでもできてしまうと、たまたま得られた有意な結果にうまい解釈をほどこして何らかの「ストーリー」を作ってしまいます。たまたま得られた結果なので、再現性は低くなります。

小保方さんのように社会的な制裁を食らったケースは抜きにして、ひっそりと不正が見抜かれた研究者に対してなにもペナルティがないようでは研究者間の自浄作用が全く働かずに腐る一方だと思いました。匿名による査読であるということは、先生が”コピペ”を見抜いた研究者 (あるいは院生) に関しては、少なくともそのコピペ論文を投稿したことによってペナルティを受け、地位を失ったという可能性はないと思います。そのことを先生はどうとらえますか? それでいいと思いますか? 私は明らかに研究倫理に反した論文を発表した研究者にまで匿名性を担保する必要はなく、実名を公開すべきと思いました。

僕はそれで晒しあげたとしてもいいことはあまりないと思いますね。今でも将来バレたら職を失うわけですが、それでもやる人がいるわけです。おそらく僕がコピペを見抜いたのは大学院生だと思いますが、その場合は指導教員の責任が大きいと思います。きちんと指導されていなかったのではないでしょうか。指導していたら気づきますから。

資料の注釈1で山岸教授を「ボス」と形容していましたが、375行目の「研究室のボス」と同じような意味での形容だったのでしょうか。また、200行目で、報酬は金銭での支払いなら最低時給額程度が望ましいといった内容が書いてありますが、コースクレジットの場合は報酬を決める際の目安などはあるのでしょうか。先日参加した実験のボーナス点については、私は多すぎず少なすぎずで妥当なところだと感じました。

ボスはそうですね。コースクレジットは状況に応じて、ですね。1回参加で1点は少ないかなと思って2点にしましたが、5回全部やると10点になるわけで、これはちょっと多めだったかもしれません。ただ、みなさん非対面授業でたいへんだろうから、ここらへんは今年は甘めでいいかなという判断です。

急遽オンラインになり、大変でしたがオンラインでもたくさん学べることがありました。ありがとうございました。

そんなご意見をいただけるとは、たいへんうれしいです。文字だけでどこまでできるか、というのは一種の挑戦でしたが、みなさんがたくさん学んでくれたのであればこれに勝る喜びはありません。課題は多かったですかね……。

QRPsの部分があまり理解できませんでした。

明確な不正というわけではないが、実験や調査の結果の信頼性を損ねる問題のある研究のやり方という意味です。

再現性の低い知見ができるのは実践した実験者本人にとっては納得のいくものなのですか? 再現性が低いということは根拠に欠けるということですか? 大学で行われる実験の参加報酬はどこから出ているのか気になりました。

再現性の低い知見、というのは本人は納得していない場合もあり、論争になることもあります。それは健全な姿です。再現性が低いということは、同じ実験をやっても同じ結果にならないということです。実験参加報酬は多くの場合、日本学術振興会に申請して当たるともらえる科研費から出ます。

実験参加者と被験者という二つの言葉には具体的にどうニュアンスが違うのか分からなかった。また、途中からなぜ言い方を変えたのかよく分からなかった。

156行目からをもう一度読んでみてください。

個人が識別できないようにコード化されたデータであってもすぐに破棄したほうがよいという問題が小テストに出ていましたが、結局破棄した方がいいのか分からなかったです。

これはまだ11日までできる試験なのでここには答えは書きませんが、答えが公開されて納得できなかったらまた質問してください。

研究者の自由度といった問題行為によって、有意水準が当初設定されていた5%から約61%までに上がってしまうという部分がありましたが、これは一体どういう意味があるのですか?

有意になりやすいので、論文として出版しやすくなります (そしてそれがまずい)。

「明らかにコピペしている」というのは、1文まるまる同じぐらいのことですか?

そういう場合もあるし、若干変えていることもあります。

再現可能性問題が注目されているのはなぜなのか?

あまりに心理学の実験の再現性が低いことが分かったからです。

287行目~288行目の「追試をした者に実験がうまくいったかどうかを訊ねたところ、成功した確率はたったの39%であると報告されている。」とあるが、一回目の実験結果とはどれくらいの差が生まれるのですか。

それは実験によりますが、「A条件とB条件に差があった」という論文の実験を追試してみたら、AとBの間に統計的に有意な差が得られない、とかそういうことです。

性善説に立ったの段落で不正を1件も許さないべきかとあったが、不正が何故認められる場合があるのか?

行数を指定しましょう。それは読み違いです。不正は許すべきではないが、全ての不正を見抜くにはそれなりの税金が必要になる、ということです。抜き打ち調査さえすれば、たまにはそれをすり抜けるものもあるかもしれないが、いつ調べられるかわからないので、不正確率は減るのではないか、ということです。何事も「ゼロ」にすることを追求するのはあまり賢いことではありません。

誰が書いたどんな論文でも雑誌に載せることはできるのですか?

「どんな」ではないです。紀要の場合は限りなく「どんな」ですが。

剽窃はどうしてバレるのですか?

剽窃を見抜ける者のことを専門家と言うのです。

14ページの360にあるオーバーフィットの意味が分かりませんでした。調べてみたのですがオーバーフィットの意味がよく分からなかったので教えていただきたいです。

そのデータを100%説明するものということです。データにはノイズが含まれていて、それは偶然によるものなので説明できなくて当然なのです。100%現象を説明するものというのはよくありません。

僕はSTAP細胞は本当はあったけど、国みたいな大きな組織にないことにされた。という陰謀論を推しています。

騙されやすい可能性があるから気をつけてください。

なぜ不正をしてまで研究発表をするのかがわからない。不正したら研究ではないのになぜするのだろう。

それによって仕事が得られたり尊敬が得られたりするからでしょうね。

人間の超能力は念力や未来予知、テレパシーなど、信じ難いものが多いと思います。テレビで犬と会話出来る人の番組を見たことがあります。内容は感動的なものでしたが、実際のところ、世界には動物と会話ができる能力を持つ人などいると思われますか?

言語能力は人間固有のものなので、嘘でしょう。

課題今回だけではないのですが、心理学において実験は今まで数多くされてきたのですが、その参加昔の場合ランダムに無造作で選ばれていたのでしょうか?

研究法のところをもう一度確認してもらいたいのですが、実験では条件ごとにランダムに割り当てるのが重要です。参加者自体はランダムに取ってくる必要はありません。

先生方は少し踏み込んで論文を読んだり調べたりするだけで不正がなされていると分かるのですか?

必ず分かるわけではなく、長い時間がかかる場合もあります。バレないこともあるでしょう。

ちょっとしたアンケートに答えるだけみたいなときでも報酬はあるのでしょうか?

もちろん、ないこともあります。学生の卒論とか、お金が出せないときなんかは無償でお願いすることもあります。その場合には結果を教える、という意味でも報酬を提供することもあります。

p値ハッキングとはどのようなものなのか、分かりませんでした。293行目から説明されている、ベムの考えが理解できませんでした。特に307行目の「つまり」からが難しかったです。

p値ハッキングというのは、本来統計的に意味があるとは言えない値なのに、統計的に意味あるような結果が得られるように「工夫 (悪いこと)」してしまうことです。ベムのところは、それは自己知覚理論のところですね。これは余談なのでいいですが、何がわからなかったかもう少し特定してくれたら説明できます。

質問は、p値ハッキングは気づかぬうちに行ってしまうものでしょうか。意図的に行う人はいるのでしょうか。

両方あります。ほとんどの人は気づかず、これまでの習慣としてやってきたのだと思います。

ベムの実験はなぜ再現されなかったのかという事が少し分からなかった。有意水準は実験によって変化するのか?

ベムの実験はおそらくp値ハッキングが行われていたのでしょう。偶然有意になることはありますから。有意水準は心理学の場合、5%です。

39のレビュー論文やメタ分析の際に承認を得る必要がないのは既に承認を得ている研究を扱うからですか。

実験参加者や調査協力者がいないからです。

実際に実験をして怒られたことはありますか?

これまではありません。

⼼理学の再現可能性問題のその1、⾏なった条件や測定した変数の⼀部しか報告しないのはなぜですか。

もともと大量のデータをとっておいて、有意なものだけ (使えるものだけ) を報告しようとするからです。というか行数示して!

授業の内容での質問ではないのですが、先生はいつも授業の文章 (だいたい16ページから18ページくらい)を書くのにどのくらい時間がかかっているのですか? (最近レポート課題が多く、1000字書くだけでもまあまあ時間がかかってしまうので先生はどのくらいかかるのかふと気になってしまいました)

今回の授業準備は全部あわして1月から5月まで4ヶ月以上かかりました。1回分の授業教材は集中しても1週間程度はかかります。1ヶ月近くかかったところもあります。必要な本や論文を取り寄せたり図書館で調べ物をしたりする必要もあります。

期末テストの日、Moodleが使用できないと思うのですが、大丈夫でしょうか。

いや、それは全然大丈夫ではないので、メイルをください。

外れ値により第2種の過誤が起こる可能性があるが、統計的処理以外に研究倫理の観点から行える処置はあるのか。

外れ値はあとで見れば判定できるので、それを取り除くということは可能です。

質問は、行った条件や測定した変数の一部しか報告しないと書いてあったのですが、そのようなことをして大丈夫なのか気になったということです。

これまではそういうことが行われてきており、それが再現性を低くしていました。

直接的追試は、どの程度内容を同じにする必要があるのかが分かりませんでした。報酬の内容も同じにするのでしょうか。コロナの感染者が増加していますが、大学の後期の授業の形式はどうなるのでしょうか。後期の授業は対面の形式で行う予定であるとおっしゃる先生が多いように感じます。大学側は、基本対面形式で進めていく予定なのでしょうか。

報酬の内容はまちまちです。違うこともあると思います。後期の授業は人数が少ないものについては対面だそうです。どちらがいいですか?

協力的だったベムが追試の結果が再現不能だと知った時はどのような反応、行動を起こしたのでしょうか。

ちょっとそれは把握していません。その後論文が出ていないので、おそらく結果が再現されないことについては諦めたのではないでしょうか。