「心理学概論」の感想 (6 June, 2023)

後半部分は社会心理学から。アナウンスがまぎらわしかったせいか、この日はオンデマンドだと勘違いした学生がいたかもしれない。出席者がいつもの半分くらい。

偏見や思い込みが、人間の心理だけでなく、社会にまで影響を与えることがわかった。また服従実験の話を聞いて、他人の影響力の大きさを知り、逆に個人で思考している要素はあるのかと思ってしまった。社会的現実から物理的現実に変わる例も正しい思考があれば防ぐことはできると思った。

ところが「正しい思考」があっても、個人では防げないというのが社会的現実の話なのです。実際にトイレットペイパーはなくなってしまうのです。

ディズニーランドなどのテーマパークでプロポーズすると断りづらいだとか周りの状況に影響されることが生きている中には溢れているので面白かったです。

その話は若い頃に知りたかったです。

P.11以降に出てくる表の見方がいまいち分からないのですがどのように見たらいいですか。

表09-01の数値は肯定的な形容詞に対する肯定率です。「1. 寛大な 寛大でない」で、「温かい」が91というのは、「温かい」条件で、91%の人が「寛大な」を選んだということです。

高校生の時、修道のオープンキャンパスで社会的ジレンマの協力と非協力の実験を、体験しました。それぞれの人によってお金の出し方が違っておりそこで心理学面白いなと感じで修道の心理学部に入ったことを思い出しました。

心理学部じゃなくて健康科学部心理学科だよ、っていうのはいいとして、その社会的ジレンマの実験は中西ゼミの出し物です。ようこそいらっしゃいました。

質問なのですが、ジンバルドーの実験で示されたことは、学校の中の教師にも当てはまりますか。例えば、体罰は学校の中で教師という立場であるから行ってしまうのですか。それとも、そもそもその教師が体罰をするような人間で、教師だからということは関係ないのですか。

授業で話したように、ジンバルドーの実験は「話半分」に聞いた方がいいようなネタですが、社会心理学者としては、教師が体罰をするような社会的状況があるのだと考えます。それも最近は容認されなくなってきたので、ほとんどなくなりましたね。僕は中学生の頃、木のヘラで腫れるほど殴られましたが、こういうのはもうないでしょう。

ミルグラムの電気ショックの実験で、450ボルトまで流すと答えたものは一人もいなかったのにも関わらず、実際は26名(65%)が450ボルトまで電流を流したことに衝撃を受けました。流した側は痛みが分からないためにこうなったのかと考えました。

そもそも痛みを感じるのは「電流を流される側」であって、流す側ではない、というのが大事です。特にスイッチを倒すだけだと相手の痛みを感じにくいでしょうね。

今日オンデマンドだと勘違いしてました。すみません。次回以降気をつけます。

やっぱり!

社会心理学のことが少しわかった

謙虚でよいと思う。

アファーマティブ・アクションについてですが、なんとも非常に難しい問題だな、と思いました。採用に女性枠ができたりと社会の認識を変えていこうとする動きは必要だから行われているわけなのですが、繊細な課題であることには代わりないので、その情報の受け取り方(認識のしかた)をどのようにするかが難しいように感じました、

おっしゃるとおり、これはとても難しい問題で、簡単に意思表明できないなと思っています。状況が人の行動を左右するのであれば、状況を無理やり政治の力で変えてやれ、というのは理屈としては正しいと思います。それなりの犠牲を払うことになりますが。