「集団力学2013」の感想 (15 October, 2013)

学生から提出してもらった「出席カード」(大きい方) に書かれていた感想・質問・苦情から。

時間管理が上達するためのコツがあれば教えて頂きたいです。

学生なのだから、まずは課題をしたり本を読んだりする時間を確保する (決める) のが大事だと思う。先に別の予定を入れてしまうと、大事な予定が入らなくなってしまう。

タクシー問題のような事件が起きた時、警察は、確率を考えたりするんですか?

考えないんじゃないかなあ。

(コイン投げ) 確率は同じなのに、なぜ代表性に違いが出るのか気になりました。

これ、とてもよいポイントだと思う。というか、僕もいつもこれが分からないんだ。「代表性」って何だろうね?

前回の授業内容に対する疑問なのですが、例えば、1等しかない宝クジがあるとして、その1等くじが計算を行うと+になるほど高額であれば、それは当たる確率が低いとしても買うのは”お得”になるのでしょうか。

今と同じ確率で100兆円当たるようなクジだったら300円で買う価値は十分あるよね。

先生がおすすめされていた「努力する人間になってはいけない」という本を、今読んでいる最中です。学ぶことの自動詞化 (確かこのような表現だったと思うのですが……) についての著者の考え方が、とても興味深かったです。この本に、大学生の初期に出会っていればなあ……と思いました。

「学ぶ」が「学び」になってしまっているってところだね。「学び」には強力な主体が重要になってくる。もともと意欲のある学生だけが「主体的な学び」の主体になってしまう。

ギャンブルじゃないですけど、マークシートのテストなんかで、2が続くと「次の答えは2以外だろう」って思ってしまうものと同じですか?

そうそう。

(タバコについて) 「長生きしてほしいからやめてほしい」と言いたいですが、照れくさくて言えません。

言えよ。

故意に感情を強く持つ事って可能なんですか?

感情は自動化されているからそれは難しいよね。訓練できるのかもしれないけど。

タクシー問題の所がイマイチ理解できなかったので、もう一度検索してみようと思います。

実は僕もいつも分からなくなる。もともと人間にとって直感的に理解するのが難しい問題なのだろう。

他大学の友人に、心理学はあたりまえのことに用語や名前をつけているだけのように思えるけど、何を勉強するの? と言われました。

「もう当たり前になっていることの多くは心理学者が研究するまで分からなかったんだよ。例えば……」とか言えると格好いい。

心理学の知識を少しでも入れていると、多数派の考え方と違う方を選ぶことが多くなったと感じます。心理学の延久で、対象者に心理学専攻の学生が多いことは、結果に影響すると思われますか。

条件の差を見るような実験ではあまり影響しないと思うけれど、調査では結構影響するかもね。

リンダ問題において、人は情報を具体的にすればするほど間違う確率が高くなるということですか?

情報が具体的になればなるほど「当たる確率」は低下するが、逆に人々は当たる確率が上昇すると信じてしまう。

(リンダ問題) “彼女についてもっともありそうな選択肢をチェックして下さい”という質問でした。それを”彼女について考えられる確率の高い選択肢を…”という質問に変えれば選択肢1を選ぶ人は増えるのではないかと思いました。

実験してみましょう。

大学の二次試験がペーパーじゃなくて面接型になるという話がありますが、面接なんて嘘だらけだから、ペーパー試験の方が学力の高い学生を入れることができると思いますが先生はどう考えますか?

日曜日の中国新聞の書評欄で書いたが、まさにそう思う。「嘘」というより、「育ちのよさ」が面接では有利になってしまうことが問題。

意思をこの授業で使っていますが、意志っていう字もありますよね。なぜ、意思にしているのですか?

decision makingの訳語として、最近「意思」の方が多いから、くらいの意味しかない。

アルゴリズム体操の名前ってこれと何か関係があると思いますか?

あれは多分意味はないよね?

おばけ屋敷等でおばけに対して「ごめんなさい」と謝るのはどうでしてですか?

その前に本当に謝るのかどうか調べないと。

ギャンブラーの誤びゅうについて、じゃんけんを3人以上でしたとき、全員同じ手を出すと思わず「すごい!」となってしまいますが、これも誤びゅうなのでしょうか?

まさにそう。あらゆるパタンが同じ確率で発生するはずだから、全員同じときだけ驚くのは本来おかしい。

ちなみに中西先生は大学の先生としてテレビに出て意見を述べたことはありますか?

広島の地方局で「なぜ山賊は人気なのか?」みたいな特集で「おいしいから」と答える役をやったことがある (もうちょっといろいろ話したかも)。「たけしのニッポンのミカタ」という番組で「血液型性格判断はうそ」という話をしたこともある。でもテレビは向いていないから、もうやりたくない。

以前テレビで脳の移植を行うと、その脳のもち主が犯罪者で、その人の性格になっていってしまうといった内容の映画を見たのですが、実際そのような事はおきますか?

脳の移植はまだされていないので、何とも言えないと思う。脳を移植した場合、「脳を移植した」と言うべきなのか、「脳以外の身体を移植した」と言うべきなのか、どちらなのだろう?

どうして日本では、心理学はあまり広まっていないのですか。あまり需要がないのでしょうか。

心理学が広まるような社会はろくな社会じゃないよ。