大学の教員をやっているとマスコミからコメントを求められることがある。向こうは心理学の専門家でもないし、心理学者がどういう存在かということを知らないので、(特に社会心理学者は!) 何でも屋的な存在として取材要請をしてくる。学内の総合企画課という広報担当の部署がこの手の取材依頼の取り次ぎをすることになっていて、そこからはいつも難題が舞い込んでくる。
今回のお題は、
「ダイニングテーブルがちらかっていると家族の団らんに影響がある」という内容について心理学、行動学的な見知からの
コメントをお願いしたい、というものだった。いろいろな意味で難問だ。そもそもダイニングテーブルが置いている家庭といってもいろいろある。ダイニングテーブルで食事をとる家庭なのか、それともダイニングテーブルはあっても、食事用にはほとんど使わず、実際にはちゃぶ台で食べているのか。もう一つ難しいのは、この手のデータを一つも知らないということだ。データをなしに論じるということは、ダイニングテーブルがちらかっていると、どういう理論的な根拠があって、家族の団らんに影響するのか、という可能性を論じなければならない。だが、そんな理論は知らない。
結局、僕には難しすぎるので他のスタッフに回答できる先生がいないかどうか振ってみた。どなたか、かっこうよくこの難問をスマートにやっつけてくれないものだろうか
さて、今回はテレビ局からの要請だったが、7月の末にはラジオ局からの取材要請を断っている。その難問というのが、
男性は、女性にもてるためいろいろな努力をし、女性はそんな仕草や言葉にキュンとすることがあると思います。心理学の先生には、そんな女性が喜ぶ仕草や言葉についてのお話を伺えればと思っております。
これは性淘汰の話をすれば答えられない話ではないのだが、これまたお断りしてしまった。向こうが喜ぶ話を分かりやすくするのは簡単ではないからだ。この手の質問をこなせないというのはまだ修行が足りないということなんだろうなあ。