学生から提出してもらった「出席カード」(大きい方) に書かれていた感想・質問・苦情から。3行以上書かないと出席チェック用として教務に提出しないで棄てちゃうからね。
(ネガティビティバイアスについて) 友人関係を保てたとしてもひょんなことで印象を悪くしてしまい、関係がこじれるというようなことは当てはまるのでしょうか?
あてはまる。一度の失敗は高くつくので気をつけないといけない。例えば、僕がどんなにすばらしい授業を展開していても、一度でもセクハラで訴えられたりしたらもう誰も僕の話なんてまじめに聴かないでしょう?
先入観やステレオタイプの形成は年齢が若いほどよく形成されるものなのでしょうか?
多分、発達的な研究もあると思うのだけど、ごめんなさいフォローしてない。ステレオタイプはある側面で「知識」なので、ある程度年齢がいかないと身に付かないとは思うけれど……。
偏見だが白人より黒人の方が暴力的でこわいイメージがあります。
授業ちゃんと聴いてた?
印象と矛盾する情報が、「良い人」という印象で、「望ましくない」情報である時はネガティビティバイアスが働いてネットワークモデルの方が使われ、逆の場合はプロトタイプ理論の方が使われそうだと思ったのですが、どう思いますか?
前半部分の日本語の意味が分からなかった。つまり、これって、ネットワークモデル、プロトタイプ理論それぞれの単なる説明じゃない? なぜ、あるときには印象に矛盾する情報が重視され、別のときには印象に一貫する情報が重視されるのか、という問いにはどう答える?
先生にはかなり失礼ですが、2限連続だったので少し疲れました。
いや、先生も疲れたし……。
私たちは縛られながら、縛りながら生きている
いいえ、そういう趣味はないです。
TVの評論なんかを聴いていて、「でも、それって本当に因果関係あるの? あやしいな……」とか思うようになってきました。そして、そんな話をしたら、親に「ポカーン」とされました (°Д°) こんな顔されました。
ちゃんと教育効果が上がってる! いいかんじ。
「五月病」という名前のせいで”5月になればやる気がなくなる”とよけいに考えてしまう気がします。
そうそう、そもそもそんなものない、って思っていた方がいいの。
マンガとかアニメなんかで出てくるキャラクター作りの中で、ギャップがあると良いキャラクターができるようなことをいわれていますが、これってネットワークモデルを利用しているのでしょうか?
なるほど、その発想はなかった……。
大学の先生は何か少し他の人より変り者が多い! と思うのもステレオタイプですよね?
ステレオタイプでもあるけど、実際そうだよ。どうしようもないやつとかいるもん。
中国でまだipad (ママ。iPadね) のパクリのipedが発売されたって聞きました。やっぱり中国人がやるんだって思うことはよくないことだけど思わずにはいられませんでした。
ステレオタイプは統計的な裏付けのあるものもあるからね。でも、中国人にもちゃんと著作権意識の高いひとも (少なくても) いるでしょう? そういう個人差を無視しちゃうところがステレオタイプ。
moodle、やっと登録しました。
おめでとう。
「顔の経済、車の修道、頭の広大、心の工大」というのを思い出しました。
実際のところ、広島県では広大の一人勝ちっぽいけどね……。でも、私大では一番だぞ。自信を持て。
差別される社会の中で生きていくうちに自尊心も失われていってしまうんでしょうか?
そう、それが怖いところだよねえ。
後々に後悔する
馬から落馬?
プロトタイプとステレオタイプは同じ意味として考えてもいいものでしょうか。
似ているけれど、違う。ステレオタイプというのは、特定の集団に付与されるものだけれど、プロトタイプは必ずしもそうではない。外向的な人物ってだいたいこういう傾向あるよね、みたいなのがプロトタイプ。日本人ってこうだよね、ってのがステレオタイプ。でも、つきつめて考えると同じような現象だよね。社会的認知研究のこういうところが嫌いだ。難しい概念が多すぎるんだもん。こんなに概念多くなくてもいろいろ説明できるんじゃないのって言いたくなる。あ、愚痴です。
(バイトをしていて) すぐ店員にイライラをぶつける人 (大体おじさん or おばさん) は小汚い格好の人が多い。
社会経済的地位が低いひとは、多分丁寧な対応を学んでこなかったか、感情をうまく抑えられないひとが多いのかも (ステレオタイプ)。
人種差別や偏見を無くすことは非常に難しいことなのかと思ったが、実際はどうなのだろうか?
人間の認知能力が大きく変わらない限り、無理。
(フィスクの実験結果から) 良いことを何度もするよりは、非常に良いことを一度する方が良い印象を得られるということなのでしょうか?
例えば前科があっても、溺れた子どもを助けて、代わりに自分が死んじゃう、くらいのことをすると印象はかなりよいかも。でも、小国フィレンツェの役人だったマキアヴェッリは、「悪いことは一気にやれ、よいことは少しずつ小出しにしろ」と説いているよ。
良いニュースはキャスターが「良い話ですね」と一言コメントして終わることが多い
マスコミは不幸な話 (特に人が死ぬ話) が大好きだからね。だからマスコミ嫌い。