「社会心理学2010」の感想 (27 Apr, 2010)

学生から提出してもらった「出席カード」(大きい方) に書かれていた感想・質問・苦情から。

(第一印象は) 単に髪の色や服装だけでも大きく変わります。私自身、ヘアスタイルやファッションを変えただけで本質的には何も変わっていないにも関わらず他者からの評価が変化する体験をしてきました。

これおもしろい現象だよね。例えば自分が髪型を変えたときには、別に中身は何も変わっていないと思うのに、他者を見るときには、黒髪と金髪とで印象が変わったりする。

流言は本当かどうか分からないんだが、それが、広がっていく。予言の自己じょうじゅみたいなものなのだろうかと考えた。

ヴィデオの中で出てきた例 (金融機関が破綻するという噂が取り付け騒ぎを起こした例) は、まさに予言の自己成就の話。社会学でも習うだろうね。

赤信号みんなで渡ればこわくないも責任の拡散ですか?

2つの意味で、「赤信号……」は合理的だ。1つは、赤信号でも誰かが渡っていれば車が来ている可能性が低い (安全である) ということ、もう1つは、みんなが渡っていれば自分一人だけが怒られる可能性が低くなるということ。後者は「責任の拡散」で説明できそう。

社会心理学を深く学べば人間関係が良くなりますか?

残念ながら、全然ならない。

欧米の場合でも責任の拡散とは起こるものなのでしょうか? 欧米人は”我こそは!”といってすぐ財布を取ってくれるのではないかなーと疑問に思いました。

日本人ほどお人好しじゃないので、そのままねこばばされるかも……。責任の分散は欧米人にももちろん起こる。というか、もともと欧米での研究なので。

自分の行動にも傾向や日常生活との関連性があるということをはっきり示されるのは気持ちが悪い…気がする。

個々人の中にまでさすがに踏み込んでいけない。社会心理学はあくまで「平均」を調べる学問なので。

最近は人に合わせてばっかりで考えない人が多いと思います。

「最近」ばかりじゃなくて、それはずーーっと昔からそう。最近になってからそうなった、というからにはその根拠となるようなデータがなければ。

そうゆう所

そう「い」う所、ね。

あと、流言の話で、規模は小さいかもしれませんが、ゼミを決める時にたくさんのうわさが流れた事を思い出しました。

どんな噂が流れたのかとても気になる。

新聞も本当のことだけが書いてあるのではないので

都合の良いように事実を切り取るのがマスコミは得意なので、基本的に疑ってかかるべき。

もし相手の気持ちが読める人が居たら怖いと思った。

いや、むしろ読めない人の方がたいへん。ふつうは読める。KYってのは気持ちが読めないひとのことでしょう?

先輩からは、単位が取りやすいとうわさが流れていた講義が今年から昨年とは一変してとても厳しくなった講義があります。っていう報告です。この場合だと、この講義をしていた先生の心理で何か変わったことがあったと考えられるのでしょうか?

その前に、その先輩が言っていたことが本当のことなのかどうかを調べる必要がある。

(落とした財布) 米国なら周りに誰がいようが関係なく拾っているだろうと考えました。

で、ねこばばする?

卒業単位のことですが、必修以外の単位は群しばりも満たしているので問題ありません。もし、この講義の単位を落としても卒業はできます。落とすつもりはありませんが。

はい、落とさないでがんばりましょう。

最近、バスや電車で並んでいると、お年寄りがけっこう割り込んで来ます。「若者はマナーが悪い」と言うお年寄りが、マナー悪いってどうなのかと思い、これも社会心理学で研究可能なのか気になりました。

いつの時代も「最近の若者は」って言われ続けてきたんだよ。だから、その年寄りも、昔は上の世代から「最近の若者は」って言われていたし、マナーの悪さは年齢の問題ではない。むしろ、そのひとの社会経済的地位とか、そのひとの属するサブカルチャーの問題が大きい。

社会問題が社会心理を研究することで、減少することは可能なのでしょうか?

一応、可能と信じている。ただ、理論を研究するひとと、その理論を社会に応用させようとする社会工学的発想をもったひとの両方が必要だと思う。

暴力映画と攻撃行動の例はよく授業に出てくるが、因果関係はないのでしょうか。

実験研究も行われていて、多分因果関係はある。けれども、いろんな説があって、結局ちゃんと勉強していないので、よく分からない。Amazonとかで調べて、その手の本を読んでみてください。

うちの父親は毎日チラシを1枚1枚吟味しています…よっぽど労力が余ってるんですかね? いいように考えれば彼は常に素朴な科学者だということでいいのでしょうか。でもチラシの吟味にかかるコストのことを考えたら必ずしも論理的ではないですよね…失敗例でしょうか。

「素朴な科学者」のメタファーだと、「労力」は考えないので、父上は「素朴な科学者」的なひとなのだと思う。そういうお父さんを大事にしてあげてください。

(落とした財布を拾う例) 自分1人しかいなければサイフを拾う確率は高くなるということですか?

その通り。大衆の前で助けてもらいたかったら「そこの青いシャツのイケメンのお兄さん! たすけて!」とか相手を特定すること。

最近の先生は、生徒がどんな生徒なのかなんて評価できないと思います。ヤンクミならわかりませんがネ……笑

最近も昔も同じ、評価軸があればどんなひとだって評価できる。講義の単位に関して言えば、その講義で目標としているところまでその学生 (「生徒」と言わない) がどれだけ到達しているかを試験やレポートで評価すればいい。そういうことができない教員は昔も今も一定数いる。

月曜日の23時から放送されている「ほんまでっか? TV」という番組があるのですが見たことはありますか?

テレビはほとんど見ないので、これも知らない。サンマは好きだから見てみるかなー。

(社会学も心理学も) 両者とも研究対象は「社会」ですが、両者を学問として分けて研究することの意義は何なのでしょうか?

積極的な意義は何もない。学問が別れているのは歴史的な経緯であって、必然的なものではない。強いて言えば、方法論は両者の間で随分違う。心理学者の特徴は、何が何でもデータがないと信じない (思索だけの研究にはあまり価値を見いださない) 点にあるけれど、心理学者の中にも質的研究とかしているひとは定量的な分析をしなかったりするので、何とも。

先生は、よく人間観察されているんですか?

ひとを見ているのは好きなので、結構やります。声が聞こえないところからカップルを見て勝手に吹き替え入れて会話を想像したりすると楽しい。