「心理学概論I 2017」の感想 (25 Apr, 2017)

学生から提出してもらった「出席カード」(大きい方) に書かれていた感想・質問・苦情から。

確かに動物も意識を持っているかもしれないが、人間とはまったく同じとは言えないと思う。どのように違うかは研究をしてみないと分からないが

どうやって研究をすればいいと思う?

ミードの「サモアの青春」が間違ったまましばらく受け入れられていたのは、理論とデータからの組み立てはしっかりしていたからだろうかなと思った。

そうだろうか。そのような結論を期待するバイアスがあったのではないか (そんなことを言ったら仮説のある研究には全てバイアスがあることになるが)。

日本でも敵地へ散布するプロパガンダ用のビラを作製する際により訴求性を高めるためにある程度の長さはされていた模様です。主に文筆家や漫画家などの他に米国居住経験のある日本人も参謀本部に集められてビラの作製にあてられたようです。

結局制空権を取られてしまうとがんばって作ったビラもまけなかったということか。今ならネットでやると思うが、どのような形でやる (あるいはやっている) のだろう。

映像の司会者がところどころでジョークをはさんでいるのがおもしろかった。

本当に面白いと思ったのか。

去年もみたが「サモアの思春期」は正しいか分かっていないのなら心理学といって良いのだろうか。

去年も見たのに「サモアの思春期」は間違っている、という話をしているということが分からなかった?

たびたび寝てしまってすいませんでした。

映画を観に言って「寝てしまてすみません」なんて謝るだろうか。損をしているのは寝ている方なのだから、謝罪はいらないのではないか (ただし、僕は学生が寝ていると、凹む)。

概論IIでMSD先生が「全てをうたがえ」と言っていました。私も、もともと自分の目で見たもの体験したものしか、あまり信じてなかったので

ものすごく危ない考え方だと思う。自分が目で見たものは例外かもしれないし、そもそも何を見るかは人によって随分ちがう、ということが心理学の研究で随分示されてきている。体験したからといって正しいなんて思わないようにしてほしい。

実験の被験者に心理学生を使うことの方が結果に影響をおよぼすのではないでしょうか?

もちろん、及ぼす。だから、われわれは条件を設けて、条件間の差を検出しようとする。それぞれの条件に無作為に実験参加者 (「被験者」という表現は最近は使わない) を割り当てる。条件の差は操作の差であるはずであり、この差が心理学を専攻している学生とそれ以外の学生とで異なるという積極的な予測がない限り、問題はない。

そもそも人と動物は根本が全くもってちがうものなのに……。

この授業の最初に言ったことをもう一度繰り返しておこう。「人も動物」。

感動しました。

授業で感動してはいけない。「全てを疑え」。授業中に頭を休ませてはいけない。

動物の感情について研究してみたいと思いました。

本当に思ったのか。ではこの1週間に、動物の感情に関するどのような文献を読んだのか、ぜひ教えてほしい。