現在、科研の基盤A (リスク認知とソーシャルメディア情報拡散過程の進化論的解明: 基礎研究から社会実装へ / 研究課題番号: 25245064) の分担者として風評被害についての研究に関わっているが、実はまだ福島には行ったことがなかった。今回の出張の目的は、前期の実験で使う食材を提供してくださった南相馬のスーパーSaiya (経営者はスーパーサイヤ人ではなく、ふつうの日本人だった) を訪れ、お礼と後期の実験材料についての相談をすること、福島大学でミーティングを行うこと、福島のエートスの活動について調査をすることの三点であった。
これまでの人生で多分一度も福島県には入っていない。広島から福島に行くためには、関西まで行って関西国際空港 (伊丹) から福島空港に向かうか、広島から仙台に飛んで、そこから陸路を移動するといったルートが考えられる。多分東京まで飛んでそこから電車で移動してもよい。いずれにしても、結構アクセスが悪い。
今回は11月1日の9:30に仙台空港集合ということで、前日に広島空港から仙台に向かった。仙台空港で科研のメンバー8人でレンタカーのハイエースに乗り込み国道6号線を南下する。1日目のルートは以下のとおり。
Saiyaで店長のお話を伺い、実験材料についての調査を行い、お昼ご飯を調達。おにぎりがおいしい。そこから内陸部に右折し、一路大学祭の真っ最中である福島大学へ。福島大学では飛田操先生が研究会を開催してくださった。ささき牛乳の佐々木さん、福島大学災害心理研究所の筒井雄二先生にお話を伺う。基準を超える放射性物質が検出されないにもかかわらず牛肉から基準を超える値が検出されたことで牛乳まで売れなくなってしまったことや、生まれたばかりの子どものストレスが震災を経験した親によって影響を受けるといったお話を伺う。夜は懇親会でおいしいご飯とお酒をいただく。
翌日は福島駅よりいったん相馬市に出て、そこから全線開通した国道6号線を南下。途中福島第一原子力発電所の横を通るルート。目的地はいわき市の末續地区。福島のエートスの方からお話を伺うためだ。
斜めに突っ切ったほうが近いのだが、やはりせっかく開通した6号線を通りたいということで、少し遠回りをした。
途中ところどころ除染作業で使った黒い袋が置いてある。
津波の被害のあとだろうか、ひっくり返った車がそのまま放置されていた。
原発の近くは人が住めないため、このように廃墟となってしまっている。
「帰宅困難区域」の看板。「困難」という言葉に違和感を覚える。「困難」というと帰宅する主体に原因があるように考えられるが、当然全くそうではない。
(ぶれています) 原発に近づくと放射線量は他の地域と比べると若干高くなる。
末續地区では福島のエートスの活動についてお話をうかがった。末續地区の500枚の田んぼの空間線量を測定するために、120軒の農家から許可をもらって歩いた話 (除染のためには当然データが必要)、3年目で放射性物質が米からほとんど検出されなくても給食等に使うことへの抵抗があること、ICRPの基準の話などを伺う。
たいへんな苦労をされて作られた汚染地図がこちら。
黒いスーツケースいっぱいのデータにはとにかく圧倒される。データを取るというのは全くたいへんなことだ。
行政はこんな完璧なデータ収集をやってくれない。当然、こうした活動を積極的にやっている方がいない他の地域ではこんな精密なマップは作れない。こうした活動が成り立つのは、そういうことをする人がいるからだという話になると、結局人の問題になってしまう。社会心理学者として、いろいろと考えさせられる。
科研のテーマは「基礎研究から社会実装へ」となっている。風評被害の問題をどう解決するか (そもそもなにが「解決」なのか、も含めて)、社会心理学者として極めて困難な問題を扱っているのだということを現地に行って改めて実感する。