社会的現実の怖さ

東北関東大震災によって多くの人が犠牲になりました。被害に遭われた方々、被災地でたいへんな生活を送られている方々に心からお見舞い申し上げます。

こういうとき、社会心理学者というのはほとんど役に立たないなと思っていたら、同業者が東北地方太平洋沖地震関連ページ (日本社会心理学会)というサイトを立ち上げていました。何人かの社会心理学者たちが災害時に気をつけなければならないことについていくつかの記事を書いています。

京都大学こころの未来研究センターの特定研究員竹村幸祐さんが「「買い溜め」が始まってしまったら」という記事を書いています。とても重要な指摘です。また、信州大学の辻竜平さんも、「地震発生数日後からの非被災地住民への提言」という記事を公開しています。

これまで社会心理学者が明らかにしてきたことで最も重要なことは「現実は社会的に構築される」ということです。みんなが「金融機関がつぶれる」と思ってお金を下ろしに行ったら、本当にその金融機関はつぶれてしまうかもしれません。映画館で火事が起こり「早く逃げないと逃げ遅れて死んでしまう」と思ってみんなが一斉に非常口に殺到したら、本当にみんな逃げられなくなってしまうかもしれません。このようにみんなが何か思ったり行動したりした結果として起こってしまう現象を社会心理学者は「社会的現実」とか「自己成就予言」と言ったりしてこれまで研究してきました。社会は物理的な現実だけではなく、人々の行動によって、つまり社会的な現実によって成り立っています。紙切れに過ぎないお札が金券として効力を持つのも、その紙切れ自体に価値があるからではなくて、その紙切れが「価値のあるものだ」とみんなが思っているからです。

この社会的な現実が怖いのは、自分一人ではどうしようもないというところです。「品不足が起こる」とみんなが思っていれば、本当に品不足が起こってしまう。自分一人が「品不足なんて起こらない」と思って買い物に行かなければ、「品不足が起こる」と信じ込んだ人々によって、生活に必要な物資が本当に「買い占め」られてしまうかもしれません。情報伝達の速い現代社会でこの問題は特に深刻です。「品不足が起こるぞ」という (本来は非合理的な) 噂が広まるスピードも速いからです。そのように信じている人たちが多ければ (少なくとも自分の周りに多ければ)、情報交換をすればするほどこの種の非合理的な情報が拡散してしまいます。非合理的な噂も広まれば、それが社会的現実を構築して、「普段以上にたくさん買い込む」という行動を (括弧付きですが) 「合理的」にしてしまう。

日用雑貨の供給は特に不足しているわけではありません。みんなが普段通りに普通に生活していれば、品不足が起こることはないのです。災害で電池が不足している? エネループを買って充電して繰り返し使えばいいでしょう。ふつうの電池は充電のできない被災地のために使いましょう (それに充電池の方がずっと経済的です)。

よくない社会的現実を作らないためにひとりひとり気をつけましょう、と言ったところで社会的現実の力の前には無力かもしれないし、そんなお題目で解決できるような問題ではないことは百も承知ですが、あえて書きました。